薔薇

私は薔薇が好きだ。

家では庭と3階のテラスで何種類か育てている。中でも一番のお気に入りは「ピエール・ド・ロンサール」。5 月上旬の全盛期には、下の写真の様に外側の花弁は白く清楚だが、中央に向かってだんだんと濃くなるピンクの花弁が折り重なる見事な大輪の花をたくさん付けてくれる。

わが家のピエール・ド・ロンサール

 

その花々には我が家の食卓を飾ってもらうが、そのえも言えぬ複雑さ、絶妙な色具合には惚れ惚れし、つい時間を忘れて見入ってしまう。我々人間も含めて、この自然というのはなんて素晴らしいものなのだろう。もちろん、素過程(電子・陽子などの素粒子のレベルでの個々の反応現象)を我々はよく理解はしているが、それらの素粒子の集成としての、我々が認識するマクロな世界*1は、驚くべき感動に満ちている。

(*1  我々の世界は、素粒子が10の24乗個(1 兆の1 兆倍個)程度集まって出来ている。)

 

そう、この薔薇の名の元となった詩人『Pierre de Ronsard』にこのような詩を詠んだそうだ。

 

空よ 風よ 野原よ 山々よ
ブドウ畑よ 緑の森よ
蛇行する川よ せせらぐ泉よ
雑木林よ すずしき葉陰よ

あやしいたたずまいの苔むした洞窟よ
牧場よ 花のつぼみよ 露にぬれた草よ
連なる谷々よ 黄金の麦畑よ
そして思いのつきぬ岩陰よ

こうして心残りなまま旅立つにあたり
わたしを捉えて離さなかったあの瞳に
さよならがいえなかったゆえに

空よ 風よ 山よ 野原よ
林や 川や 懐かしい自然たちよ
わたしの気持を伝えて欲しい

 

この薔薇の趣きを、この詩を胸に感じ取りたいものだ。

一方、私は薔薇の折り紙も好んでする。

 私の折った薔薇のいくつか

 

ご覧のように、金属箔、和紙、小さな紙など、様々な材料だが、もとはみな、正方形一枚のみ。それを20 分ほどかけて折り込む。この折り方はネットのどこかで解説に出会ったが、複雑なためにすぐには折れなかった。それを時間をかけて、さまざまな失敗を繰り返しながら解読して、わが物とした。実際に、今まで何人かの人に教えたが、折れるようになった人は一人しかいない。
この折り込んでいく過程が実に面白い。たったの正方形一枚の紙。それが美しい姿の薔薇に変身していく様は、あたかも素粒子という、言ってみれば「あじもそっけもない」無機質の存在が、さ
まざまな素過程を繰り返しつつ、我々を取り巻く、この素晴らしい命、自然を織り成していく様を彷彿させる。折り紙ならば、それを丁寧に一歩一歩ほどき、やがて正方形の紙一枚まで戻っていくことで、折り薔薇がどうしてできているのかという本質を明らかにすることができる。

さて、では本物の薔薇はどうだろうか?